映画「リメンバー・ミー」に興味があるみなさんこんにちは!
前職でいただいたTOHOシネマズギフトカードを使って「リメンバー・ミー」を観てきた僕です。
TOHOシネマズギフトカードの有効期間は一年!
せっかくいただいたので大切に使おうと思っていたら、来月4/3で無効になってしまう事に気付きました。
不覚ッ!
同じ理由でいただいたお菓子を賞味期限切れにしてしまうことが多い僕。
そんな経緯で、財布の中でずっと眠っていた使用期限直前のTOHOシネマズギフトカード。
入金された5000円を丸々残したまま無効にするなど言語道断!
早速、本年度アカデミー賞「長編アニメ賞」を受賞した「リメンバー・ミー」を観てきました!
もうね。
泣いたよ!
おっさん歳食う前から涙腺ユルかったんだけど、歳食う毎にあちこちどんどんユルくなってて、
もう何観ても泣くんじゃないの?
って疑いすら出てきてますが、感動的な物語だったことは(多分)間違いないと思います。
ですが、僕としてはちょっと納得出来ないというか同意出来ない部分がいくつかありました。
そんなわけで今日は、「映画「リメンバー・ミー」に感動はしても納得は出来ない3つの点」について書きます。
どこぞのおっさんが何か言ってるわくらいに受け流してもらえると嬉しいです。
「リメンバー・ミー」って何?
ディズニー・ピクサーの最新作「リメンバー・ミー」は、家族の絆を描いたファンタジー・アドベンチャー。ミュージシャンを夢見る少年ミゲルが、死者達が暮らす「死者の国」での冒険を通して家族とのつながりの大切さに気付くという、メキシコの祝日「死者の日」を舞台にした物語です。
「死者の日」って知ってる?
毎年11月1日と2日に祝われるメキシコのお祭りです。
一年に一度、亡くなった人達が自分に関わりのある人に会いに来る日ということで、死者との再会を祝って賑やかに楽しく大騒ぎする日とされてます。
日本でも、一年に一度亡くなった人が帰ってくる「お盆」という行事がありますが、まったく毛色が違いますね。
「死者の日」には、街はガイコツの仮装をした人たちでいっぱいに!
メキシコでは、ガイコツは死の象徴であると同時に、生まれ変わりの象徴でもあるんだとか。
大昔から祖先のガイコツを身近に飾る習慣があったり、ガイコツは結構身近なものなんだそうですよ。
映画「リメンバー・ミー」は、そんな楽しく愉快な「死者の日」を舞台に物語が展開していきます。
かなり有名らしいんですけど、この作品を観るまで、僕はまったく知りませんでした。
感動はしても納得は出来ない3つの点
映画「リメンバー・ミー」が、美しくて感動的な物語であることは間違いないです。
ただ、僕の価値観とは違うと思う点が3つありましたので、メモしておきたいと考えました。
天才少年が認められる話
ミュージシャンになりたい少年ミゲル。
ひいひいおじいちゃんとひいひいおばあちゃんのイザコザが原因で、音楽を禁じられた家庭環境で育ちます。
ありがちだなと思ってたら、おっと違った、
ギターの天才少年ミゲル
え?!天才!?
正直に言います。
すいません。そういうの求めてません。
天才が世界を変える話じゃなくて、ごく普通に夢見る少年が成長する話が観たくて期待してたの!ありがちな設定をあり得なく料理するからディズニー・ピクサーはすごいんじゃないの!?
すいません。期待し過ぎたかもしれません。
ミゲルに才能がなければ、物語のあちこちでフラグが立たないことも、観終わったら分かります。
そもそも彼にギターの才能がなければ、この物語はスタートすらしないのかもしれません。
ミゲルに音楽の才能があったから代々続いてきた家族への呪いが解けたって見えちゃってなんか納得いかない。
結局才能なの!?
って感じました。
「音楽の才能」といった特別なものではなく「禁じられたものへの興味」というだけではダメだったんでしょうか?
いや!天才のがどう考えても分かりやすいよね!
最終的に感動したし泣いたし制作側の思う壺なおっさんですけど、少年が自分の弱さや未熟さに気付いて乗り越える姿が僕は観たかったんです。
「飛んでるんじゃない、落ちてるだけだ。カッコつけてな。」
こういう何度も思い出して心が震えて涙がこみ上げるような台詞やシーンが観たかった。
ギターの天才少年ミゲルが何もかも手に入れてハッピーエンド
そういう物語があってもいいと思うけれど、個人的にディズニー・ピクサーに期待したシナリオではなかったので納得いかない。
自分に出来ることは「リメンバー・ユー」
「リメンバー・ミー (remember me)」
意味は「私を覚えていますか?」「私を忘れないで」「私のこと思い出してね」。
「リメンバー・ミー」は映画のタイトルでもあり、主題歌でもあり劇中歌でもあります。
とても心地よいリズムで優しく語るように歌われるこの歌は、とても素晴らしいです。
そりゃアカデミー賞「主題歌賞」も取りますよ。
歌はいい。
この曲だけで泣ける。
でもね。
僕にとっての家族との絆は「リメンバー・ミー」ではなく「リメンバー・ユー」なんだって気付かされました。
亡くなった人の言葉はもう聞こえません。
忘れないでいて欲しいと考えていたのか、もう忘れて欲しいと考えていたのか、確かめる方法はありません。
死人に口なしです。
だから僕に出来ることは、忘れないことを誰かに託す「リメンバー・ミー」ではなく、忘れないことを自分に課す「リメンバー・ユー」なんじゃないかと思いました。
そばにいられなくなってもずっと一緒だよ
これは亡くなっていく人からの言葉ではなく、生きていく僕らが亡くなった人を偲ぶ言葉だと僕は考えます。
ずっとあなたのことを忘れない
一方通行でも僕はそれで満足です。
だから「私は忘れないから、あなたも私を覚えていてね」という見返りは要りませんし、納得もしてません。
どれだけ綺麗に飾っても死は悲しいよ!
死んでからも死者の国で暮らせるし、毎年死者の日に会える
というメキシコの文化はとても興味深いです。
だからといって
死ぬことは悲しいことではないとは決して思いません。
大切な人と会えなくなること、大切な人の声が聞けなくなること、大切な人に触れられないことは、僕にとってはとても悲しいことです。
これは固定観念で、単に僕が頑固なだけかもしれないですが、死は再生だから受け入れろと言われても、僕が死を悲しいと思う事実には何の影響もあたえません。
死は誰にも平等に訪れるから悲しいことじゃない。
誰かが覚えてくれている限り死者の国で元気にやっている。
その考えは素敵だけど、納得はしません。
あなたがいなくて寂しい。
あなたに会いたい。
僕はこの気持ちを悪い感情だと思った事は一度もありません。
この気持ちがあるから、僕がいつか死んで向こうに行った時、笑って話せるような「今」を生きることが大事なんだって僕は思ってます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
映画「リメンバー・ミー」を観て「家族の絆って大事だね」「許し合えるのが家族」と思うのは大事なことかもしれません。
ですが、僕はこの作品が伝えてくれたこと全てに納得する気にはなれませんでした。
死生観というのは、宗教的な価値観も含めて、人それぞれでいいと僕は思っています。
誰かに押し付けられるものでも、誰かに押し付けるものでもありません。
そんなことを考えさせてくれた映画「リメンバー・ミー」。
他人にも薦めたいほど良かったかと言えば僕的にはノーでしたが、美しくて感動的な映画であることは間違いないです。
めっちゃ泣いたし。